はてさて、前回の続き。
何故私は、中小企業こそ「社格」の高い企業になれる可能性が高い、と考えているのでしょうか?
今や大企業となった企業も、当然ながら創業時代がありました。そして、こうした企業の創業時の理念は、今見ても感動を覚える大変崇高なものです。
例えば日清食品さんであれば、「食足世平(食が足りてこそ世の中が平和になる)」「食創為世(世の中のために食を創造する」)。戦後の厳しい時代が背景にあることを考えると、真に心に響く理念です。
住友商事さんであれば、有名な「自利利他公私一如」。これは「住友の事業は、自身を利するとともに、国家を利し、社会を利するほどの事業でなければならない」とするものです。お客様を利することは当然ですので、まさに「三方良し」の考えです。
しかし、こうした「社会のために」という理念を継続して社として体現していくことは、容易なことではありません。特に、図体がデカくなればなるほど(もちろんデカくても、それがしっかりと出来ている企業もあるにはありますが)。
理由はいくつかありますが、まずは株主からの圧力。最近は、いわゆるSRI(社会的責任投資)やESG投資(環境、社会、企業統治に配慮している会社を評価、選別して行う投資)の額も相当な規模ですが、まだまだ利益を求める株主の圧力が強い。例えば各社のAnnual Reportを眺めていても、そもそも「自分たちは社会のなかで何のために存在するのか」「自分たちはどんな社会を作りたいのか」などには一言も触れず、ただひたすら「ここにお金を投資します」「いくら儲けます」をうたっている企業さんが多い。「目的」がなく、ただ「手段」と「結果」を語る。すごく違和感を感じます。
他にも、社員が入れ替わり、さらに社員数がどんどん増え、理念の浸透が物理的に出来なくなる。組織間が縦割りで、理念よりも、部署の利害が重視される。数年で交替する雇われ社長が、十年百年単位の社会価値よりも、自分の任期の間の業績を重視する。そうなると当然、社会からのニーズ自体を聞く姿勢が、会社のなかで薄くなる。等々、大企業が創業理念を忘れていく理由はいくつも思いつきます。
一方で、中小企業であればどうか。全てが逆になります。社長が株式の多くを保有していれば、他の株主の顔色を伺うことなく、十年百年単位の夢を語れます。社員数も組織の数も少なければ、理念を浸透させることもより容易になります。地域密着なので、社会(地域)の声もその気になればいくらでも入ってきます。もちろん「社長がどんな理念を持っているか」に左右されることは確かなので、最初に「可能性」と表現してはいますが...。
「社会に貢献する余裕なんて無いよ!」という声も良く耳にします。確かに中小企業の多くにとって、「付加的に」何か貢献しろ、というのは厳しいでしょう。しかし、私が言っているのは「本業を通じて貢献する」「貢献しながらビジネスをする」話です。
ということで、また次回。
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