2016年2月28日日曜日

さらに脱線!(ふるさと納税について)

少し期間が空いてしまいました。
前回までは、「地方創生」と「祭り」「神社」について綴ってきました。

いま、ふるさと納税が流行りのようになっています。

個人的には、見返りを前提に寄付する、というこの仕組みには大変な違和感を感じます。
以前にテレビで、裕福な方がふるさと納税でたくさんの返礼品を得ている事例を観ました。つまりは、収入が高い人ほど、見返りを多く得て得をする仕組みだということです。
そのとき、欧州で良く聞く「ノブレス・オブリージュ」という言葉が頭に浮かびました。

これは、財産や権力、社会的地位の保持には責任が伴う、という考え方です。
自分が恵まれていると思ったら、それが「たまたま」であるという自覚を持ち、社会に還元をしていく必要があります。それが恵まれた人間の義務なのです。
こうした考えが一般的であるがゆえに、欧州では寄付文化が根付き、多くの市民団体が活発に活動しているのです。見返りなぞ、当然ながら求めません。

かつての日本にも同様に、こうした文化がありました。
寺社仏閣は、人々の寄付に支えられていました。貧しくとも優秀な人材が、裕福な人間の支援を得て、勉学に勤しみました。
しかし、いまの日本には、こうした文化が廃れてしまったように感じます。裕福な人間は、見返りなど求めることなく、社会に対して恩返しをしていく。そうした成熟した文化を持つ国に、日本が戻っていけるといいなと思います。

と、どんどん話しが逸れてしまいました。話を戻します。

自治体が、ふるさと納税で収入を得たあとの話です。この収入をどう使うのか?
納税者が使い道を選べることになっていますが、本当にそれでいいのでしょうか?
医療や福祉の充実を掲げる自治体が実に多いですが、それでいいのでしょうか?

個人的には、ふるさと納税で増えた税収は、ただの浮利だと考えます。何の永続性も保証されない、という前提で考えるべき収入だということです。
例えば、返礼品に寄付の相当部分が流れても、それが地元産業を潤すことになるから意味がある、と自治体は考えているようです。しかし、そんな浮利で支えられた産業は、少しの環境変化でも消えてしまうのではないでしょうか?本当に産業を強くすることにつながっているのでしょうか?大いに疑問です。
また、浮利で福祉を充実させても、そんな福祉制度に永続性はあるのでしょうか?
そもそも、他県の納税者が興味を示すような使い道が、その土地に本当に必要なことなのでしょうか?

これからの地方に共通して必要なことを強いてあげるとすれば、その一つはコンパクトシティ化だと思います。人口が減少し、かつ都市に人口が集中しているなかでは、これは必須かつ緊急の課題です。しかし、こんなお金の使い道を掲げている自治体がどれだけあるのでしょうか?これは、しっかりとお金をかけていくべき課題だと考えます。

また、例えば、文化財の整備にまずはしっかりとお金をかけます。そのうえで民間の力を得て、観光産業を活性化させます。そこで増えた収入には永続性があるので、そこで始めて高齢者や子どもの福祉をより充実させていきます。こうした説明をする自治体がもしあれば、私は納得ができると思います。しかし、そんな自治体を私は知りません。

どうも、ふるさと納税=政府の安易な策、と思えてしまうのが私の感想です。

中小企業ではなく、完全に自治体の話になってしまいました。
次回こそは、企業の話に戻そうと思います(たぶん).....













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2016年2月14日日曜日

脱線!(日本人と「カミ」について)

前回、前々回と「祭り」を鍵に語ってきました。

繰り返しになりますが、「祭り」の見直しは地方創生に活かせると考えます。
そして、「祭り」に主体的に係わることは、企業にとってもメリットがあります。
そこから始めて様々なコンテンツを足していけば、その地域の可能性は拡がるはずです。

私がそう考えるそもそもの根底にあるものは、"日本人の伝統" です。
日本人は古来より、厳しい自然のなかで生き抜いてきました。
そのなかで自然現象を人格化し、「カミ」を作り出しました。
日本人は古来から、「カミ」とともに生きてきたと言えます。

それは今も変わりません。
日本人は無宗教ではありません。一神教ではない、というだけです。
至るところに「カミ」がいる、無意識にそう考えるのは現代でも同じです。
我々は「天の神様の言う通り」に物を選びます。失敗したら「罰があたった」と考えます。
だから、「神社」にも「祭り」にも心惹かれるのです。

実際の例を見てみましょう。超有名どころで、伊勢神宮の例です。

江戸時代に、「お蔭参り」なるものがありました。いわゆる「集団参拝」です。
江戸から伊勢神宮までは、片道で15日もかかります。
それでも全国から、約350万人の人が参拝したそうです。
日本の総人口が約2700万人だった時代に、です。

続いて一気に、現代まで話を移しましょう。
式年遷宮が行われた2013年の伊勢神宮の参拝者数をご存知ですか?実に、約1,420万人です。
さらにその翌年も、1,000万人以上が伊勢神宮を参拝しています。
恐るべき参拝者数です。

日本人が今も「カミ」に心惹かれる、ということが良く分かる例です。
伊勢神宮にはさすがに及ばなくとも、地元の神社のストーリーを掘り起こしましょう。
そして、魅力的なコンテンツを、そこにどんどん足していきましょう。
そうすれば、きっと人を呼び込めるはずです。

一方で、欧米人のような一神教の文化からは、日本はどう見えるのでしょうか?
アニミズム=原始宗教の世界として、蔑視されているのでしょうか?

そう考えている人も、一部にはいるかもしれません。でも、原始宗教と呼ぶには、日本の神社はあまりにも芸術的です。日本の自然は、あまりにも美しいです。

この美しさは、世界を魅了できるはずです。

死者の魂が、唯一の神の元に召されると考えるのではなく、子孫を守り、国を守ると考える。そういう日本人の考え方は、すごく魅力的だと思います。

きちんと伝え、きちんと見てもらえる準備を、受け入れる側がしっかり整えさえすれば、きっと、もっと世界からも人を呼べるはずです。

と、今日はなんだか中小企業と関係ないことを熱く綴ってしまいました。
次回は、また話を戻すことにします....。













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2016年2月7日日曜日

人を育てる場としての祭り

前回、私が、地域のコンテンツ整備のハブの一つを「祭り」と考える理由を書きました。

①コンビニ以上の神社の圧倒的な数 = 一神教の文化にはあり得ない「祭り」の多さ。
②地域の住人、さらには演じる人と見る人とをつなげ、活力を与えてきた「祭り」の歴史とその意義。
③「祭り」を起源とする多くの伝統芸能、さらには「祭り」がもつストーリーのコンテンツとしての可能性。

しかし、あえて中小企業診断士の立場として「祭りだー!」という以上、それに留まらない効果もあると考えています。

それは、人を育てる場としての「祭り」の価値です。

これは、実際に「祭り」を幾度となくプロデュースしてきた知人から聞いた話です。
・やらされ感で「祭り」を手伝いにきていた大学生たちに、思い切って屋台を一つ任せてみた。当然ながら当初は全く売れなかったが、徐々に彼らも、自分たちで様々な販促アイデアを出し、楽しみながら試していくようになった。結果、祭りの最終日には、結構な売上をあげた。完全受け身だった学生たちが、自ら考えて試行錯誤する頼もしい存在に変わっていた。
・正社員と派遣社員の仲が悪く、社内でバラバラだった会社の社員が、地域貢献の一貫で屋台を出した。結果、徐々に社内が一体となり、明るくなり、実際に会社の売上までアップした。
こんな事例が数多くあるそうです。

その方も、「人を育てる場」「一体感を醸成する場」としての「祭り」の価値を強調されていました。ただこれも、実際に祭りの運営に関わっていく過程で、初めて気付いたことだったそうです。

さらに「祭り」には、子どもたちの心を育てる場としての価値もあると考えています。
私が言う「祭り」の目的は「神様にお参りをする」ことです。イベントとは違います。
自然の厳しさのなかで生きていくなかで、日本人は「神(氏神)」を生み出しました。そうした日本人の心を、子どもたちにも教えていくべきではないでしょうか。

地方創生に実際に関わっている方々に、その問題点を聞くと、「人が不足している」と口を揃えて言われます。人と言っても、それは「企画が出来る人」「リーダーとその右腕人材」のことです。

その意味で「祭り」をより上手く活用すれば、その地域にとって、企画が出来る人材を養成する場となりうるのではないでしょうか?また同様に、中小企業にとっても、「祭り」に参加していくことは大きなメリットがあるのではないでしょうか?そんなことを考えます。


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